【PRAY FOR MEインタビュー】初のサブスク配信作品『Home is…』リリース! 地方から全国へ、ライブバンドの芯は変わることなく

曽我美 なつめ

曽我美 なつめ

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愛媛県松山市という地方都市を拠点としつつも、全国各地を行脚するライブバンドとして活動を続けるメロコアスリーピースバンド、PRAY FOR ME。南は九州、北は東北・北海道まで。彼らの音楽を愛する人は確かに全国津々浦々に存在していて、同時に彼らは距離のディスアドバンテージをものともせず、呼ばれた場所にはどこへでも飛んでいく。

新型コロナウイルスにより、バンドの存在意義であったライブを奪われた彼ら。それでもその苦境の中から、初の配信EPとなる『Home is…』を2021年7月にリリース。今回はこれを機に新作のエピソードやバンドの歩み、メンバーそれぞれの音楽ルーツなどを語ってもらった。


バンド秘話! 結成の瞬間に立ち会ったのは後の加入メンバーだった?
——公式サイトには結成が2013年とありますが、そろそろ10年が経ちますね。

タクマ(Vo./Ba.): そうっすね、10年経つっすね。まあまあヤバいですね(笑)。

——初期のメンバーはタクマさんだけ?

ユウタロウ(Gt./Cho.): いや、僕もです。

タクマ: ドラムだけ変わってますね、大学の卒業で。ホントは組んだのは2012年末頃なんですけど、ユウタロウが大学受験シーズンだったのでライブは1本ぐらいしかしてなくて。で、その後いきなりライブハウスの人に「ユウタロウの卒業祝いにSHANKとやらしてやる!」って言われて(笑)。なので活動はその辺からっていう印象ですね。

そこから初期メンバーで活動して、リョウタの加入が2017年の春。その前から半年ぐらいサポートしてもらってて、って感じっすね。

——活動期間は長いけど、メンバーはかなり固定されてるんですね。リョウタくんが加入したきっかけはなんだったんですか?

リョウタ(Dr./Cho.): 元々前に僕が組んでたバンドの時から面識はあって、ドラムが抜けるって聞いた時からPRAY FOR MEで叩いてみたいな、とは思ってて。

タクマ: 前のドラムが抜けるってなった時も、すぐ「サポートやりますよ」って連絡くれたんすよ。

——じゃあ元々PRAY FOR MEのファンというか、そういう感じだったんですね。

リョウタ: うーん、ファンというか…。

タクマ:(ユウタロウとリョウタが)兄弟なの知ってます?

——知らない(笑)。なるほど! そうなんだ!

リョウタ: 僕ら兄弟なんで、お互いのバンドの事情もいろいろ知ってて。SUN BURST(愛媛県四国中央市で開催されていたフェス)で2人(タクマとユウタロウ)が元ドラムのケイスケくんの紹介で会って、そこでバンド組むことになったんすけど。僕はその瞬間を横で見てて、「うわ、ええなあバンド組むの」って思ってましたね。

——へぇ! じゃあそもそも関わりも深かったんですね。だから3人でがっちりやれてるんだと納得がいきました。

タクマ: 他の誰かが入るよりも一番違和感はなかったっすね。

——さっき結成の経緯の話が少しあったと思うんですけど、詳しく聞かせてもらえますか。

タクマ: 俺が大学のバンドサークルの新歓でケイスケと知り合って、あいつが好きなバンドにTOTALFAT挙げてたんでソッコー声掛けて。そこからオリジナルやらんかって話になって、ギターかベース探すってんでTwitterで探してたんすよね。

ユウタロウ: で、僕がケイスケくんを介してタクちゃんと会って。最初はSHANKのライブで1回顔合わせたんよね。

タクマ: そう。で、そのあとSUN BURSTでも会って、その時ユウタロウがOAT(OVER ARM THROW)でめちゃくちゃ泣きながらダイブしてて(笑)、それ見てすぐ声掛けにいきましたね。

L→R:サノリョウタ(Drums / Chorus)、フジモトタクマ(Bass / Vocal)、サノユウタロウ(Guitar / Chorus)

ルーツはメロコア! インディーズからメジャーまで…共通点はあの人気バンド
——じゃあ、バンドや3人の音楽のルーツはその辺りのジャンルに?

タクマ: そうっすね。バンドでやりたいのはメロコア以外なかったかな。

ユウタロウ: それで言ったら、メロコアの中でもタクちゃんは結構インディーズで、俺はELLEGARDENとかそっちかもしんないっす。

タクマ: そっか。俺は出身が関西なんで、高校の頃から大阪の新神楽とか神戸の太陽と虎とか見に行ってて。最初はレゲエとか聞いてたのが、友達にエルレ教えてもらう、EGG BRAINとかNorthern19知る、その辺のライブ行ったら友達増える、みたいな。気づいたらインディーズばっかり聴いてて。

——どんどんディープに潜っていったんですね。

ユウタロウ: 僕はロードオブメジャーに始まって、エルレ知ってマキシマム ザ ホルモン知って…とわりとメジャーどころを。そこから少しずつdustboxやSHANKを聴くようになって、バンド組んでからはタクちゃんにインディーズを教えてもらう、みたいな流れでしたね。

——四国はやっぱりそこまでニッチなものは入って来づらいですよね。00年前後だと、バンドブームは一度終わってるし。リョウタくんもお兄さんと似たようなジャンルを?

リョウタ: 全く一緒ですね。同じくロードオブメジャー好きになって、エルレ聴くようになって、ホルモンとか知って…っていう流れですかね。

——3人共、ELLEGARDENは共通のルーツなんですね。

タクマ: そうっすね。俺はそもそも英詞というか、速い言葉がパンパン並んだり、英語が入る感じが好きで。元々ロックバンドに一切興味はなかったんすけど、よく遊びに行く友達の家が常にエルレのライブDVD流してるような家で。それ見るうちに「かっこいいな」って。

——じゃあ、今PRAY FOR MEで書く曲が英詞なのはそこから?

タクマ: その影響が大きいかもっすね。大阪のLeftとかは日本詞で速い曲やってて、そういうの入れてみたいとも思ったんすけど、全然センスがないというか…。自分でやったらクソダサになるんで、日本語で書くんはやめようと思って(笑)。めちゃくちゃ難しかったですね。

最大ライブ本数は年100本超え。ライブバンドはコロナ禍でどうなった?
——PRAY FOR MEはとにかくライブバンドのイメージが強いんですが、コロナ前はどれぐらいのペースで活動してたんですか?

タクマ: 一番多い時は年107本とか?「ちょっと減らさんとな」って、それでも年70~80本ぐらいはしてたんじゃないすかね。月6〜7本。今思い返しても、もうどうやって生活しよったんかわからん(笑)。

ユウタロウ: 単純に誘ってもらえてたというか。いっぱいやろうと意識してたわけでもなくて…。

タクマ: あんま断らんかったらこんなことに、みたいな(笑)。

——しかも基本県外ですよね? 都市部ならまだしも松山を拠点にそこまでの本数って、どうにかして出ようとしないと無理じゃない?

タクマ: どうなんやろ。「ライブしたい!」「楽しい!」が優先やったかも。

ユウタロウ: 誘ってくれた、嬉しい、出る、のみ、みたいな。断る理由もなかったから。

——当たり前のように話すけど、その姿勢ってめちゃくちゃ「攻め」だと思ってて。仕事とかもある中で普通に生活しながら、誘われたライブ全部出るって決断はなかなかできるものじゃないですよ。

タクマ: 今考えたら頭悪いよな(笑)。でも、もしコロナが来なくても、さすがに制限しようとはなったかもしれないけどそれでも年40~50本はやったと思う。

ユウタロウ: ただ、ライブやりすぎて、制作が疎かになってしまったっていうのはある。だからその反動で、コロナ禍になってからは曲作りしてましたね。

タクマ: 曲作りしようってことでライブを抑え始めたらコロナになって、そっから2年ぐらいわけわからんほど曲作ってはボツになって…(笑)。

 ——何というか…止まることを知らないというか(笑)。作った曲は全部で何曲ぐらい?

ユウタロウ: 40曲ないぐらい?

リョウタ: 今はもう全然やらない曲も含めたら40超えると思う。

タクマ: 作ってプリプロした数はそれぐらいっすね。1年半で。

——すごい勢い…(笑)。コロナでライブができなくてモチベ下がったりはしませんでしたか?

タクマ: もちろんあったっすよ。変な話、ライブがなくてスタジオも週1で、お金もあるし遊べるし「こんなに楽なんや」ってなっとったんが、急に「生きとって全然楽しくない、楽しいことマジでない」てなったり。そんな時期もありましたよね。

ユウタロウ: コロナが流行り始めて、最初にライブキャンセルしたのが僕のバイト先の都合で。それが続いて、落ちるというよりは申し訳なさ…そっちが強かったですね。

タクマ: キャンセルって歯痒いなって思いましたね。

初のサブスク配信『Home is…』リリース! ライブバンド生活も徐々に再開へ
「Homies」
PRAY FOR ME
youtube動画
——その中で今回『Home is…』というサブスク配信作品をリリースしましたが、取り掛かり始めたのはいつ頃ですか?

タクマ: がっつり話し始めたのが年明けぐらいですかね。

——フィジカルというか、盤がないのはバンド初ですよね。

タクマ: そっすね。まあジャンル的にも体育会系というか、フィジカルありきみたいな部分はあるんすけど、サブスクに関してはユウタロウがいち早くやってみたいって言ってて。本当は今頃、盤2枚ぐらい出してツアー回ってた予定が、先が見えなさ過ぎて何もできないんで、せめて配信で出そうっていう。

ユウタロウ: コロナでライブもできなくて、やっぱ会えてないお客さんも多くて。そういう人たちにも届けるにはやっぱりサブスクがいいのかなって。コロナ禍で作った2曲と、その前からライブで披露してた2曲を収録しました。

——レコーディングや制作期間で印象的だったことはあります?

タクマ: …慣れへんな、レコーディング。いつまで経っても(笑)。でも、4曲目の「Not over yet」はライブでもやってないし、レコーディングするにあたって入れた曲っすね。歌詞もわりと急ピッチで書いたし。あんまり全体像を掴めずにやった初めての曲って感じ。

ユウタロウ: 録ってみて自分らの中で仕上がった曲って感じっすね。

タクマ: 他の曲はライブとかでもちょくちょくやってたけど、4曲目だけは録ってみて初めて、思ってた以上にええやんって。そんな初めての経験をした曲です。

——じゃあライブでもどんどん出していきたいですね。今もう少しずつ再開してますが、久々のライブはどうですか?

タクマ: んー、でもまだやっぱ制限も多いんでね。メロコアのライブはやっぱりモッシュダイブありきじゃないですか。…ホントはあかんけどそれがないのも寂しいと思いつつ、まあでも慣れたんかな。ちょっと複雑ですけどね。お客さんが我慢してる様子を見るの。

ユウタロウ: ぐっとこらえてくれとんやろうな、っていう。

——お客さん側のフラストレーションというか。特にメロコアっていうジャンルは客席からその空気が伝わってきやすいでしょうね。

タクマ: 普通に密なライブして、普通に終わって酒飲んで打ち上げして、ってのを早くしたいっすね。

——その流れで、バンドの今後の話も最後に少し。バンドで今後やりたいことや抱負があれば。

ユウタロウ: 盤を持ってツアーを早くしたいですね。ツアーじゃなくても節目の大きなライブとかをしたいなって。

タクマ: 去年、WstudioRED(松山のライブハウス)を貸し切って、フロアに2ステージ作っていろんなバンド呼んで、ちっちゃいフェスみたいなのをしようとしてたんすよ。

ユウタロウ: リベンジはしたいなあ。

タクマ: そうやな、まあでも全国盤出してツアーを回らんことにはとりあえずバンドは止めれんし死ねんわな。

——バンドで行きたいところはありますか?

タクマ: MONSTER baSHとかかな。

ユウタロウ: 東北とか北海道も行きたいっすね。

リョウタ: ああ、僕も行きたいっすねえ。

ユウタロウ: 東北で待ってくれてる人もちらほらいるし、あと札幌のsnatchが僕は大好きで。いつかsnatchの立ってたステージに立ってみたいな、って思いますね。

——活動拠点を東京に移すことは考えてない?

タクマ: ない。東京、俺が怖いんで(笑)。

ユウタロウ: なんだかんだ松山好きよな。

タクマ: 大学で関西からこっち来ましたけど、大人に変わる瞬間を松山で過ごしたから。いきなり向こうに戻ったとこで遊び方わからんし。県外への交通の不便さだけどうにかなってくれたらと思うけど、このまま松山で生き残りたいすね(笑)。

(取材/文・曽我美なつめ)


PROFILE

PRAY FOR ME
(プレイフォーミー)

2012年結成。愛媛・松山を拠点に活動中のメロディックバンド。BPM速めのエッジの効いたサウンドとメロウなメロディ、巧みなコーラスを武器に熱量のあるライブで魅せる。地元にて数々のツアーサポートを経験。県外でも多くのライブを行い精力的に活動中。