2022年4月リリースの新曲『回夏』がTVアニメ『サマータイムレンダ』のエンディングテーマに抜擢され、より注目が集まっている音楽ユニット・cadode(かどで)。
2022年2月22日にはこれまで発表してきた楽曲をセレクト、リマスタリングしたベストアルバム『TUTORIAL RED』と『TUTORIAL BLUE』の配信を開始した。
2018年の活動スタートから現在まで、彼らの作る音楽の世界は徐々に変化し深みを増している。温度、湿度、手触り、重さ。あの世界のずっと奥底に存在するcadodeの「何か」は、どんなものなのだろうか。
今回はベストアルバム『TUTORIAL RED / BLUE』の全曲レビューを通して、それを探っていきたい。
熱い血が巡る『TUTORIAL RED』
M1『カオサン通り』
呼吸する。汗をかく。心臓が動いている。熱いものに触れたら手は引っ込むようにできているし、高い所で下を見ると足がすくむ。自分の抱える虚しさに関係なく体は生きようとしている。
バンコクにあるバックパッカーの聖地をタイトルにした『カオサン通り』は、cadodeの楽曲の中でも特に高い体温を感じる楽曲だ。早足で歩くリズムにぴたりとはまるビートが心地良く印象に残る。
M2『誰かが夜を描いたとして』
真夜中にそっと家を抜け出して、歩道橋の上から行き交う車のテールランプを眺める。
人には感情と言葉があるのに、誰かの痛みは自分にはわからず、自分の痛みも誰かには決してわからない。それでも誰かの「わかるよ」ばかりを欲しがって、だんだん歪みが増していく。
楽曲『誰かが夜を描いたとして』には、「どうせわかりえあないのだから」と他者を遠ざける諦念が漂っている。だがその諦念の中にも小さな光は確実に存在していて、それは楽曲終盤の「でも君と分かち合いたい」という歌詞に集約されている。
「わかりあいたい」ではなく「分かち合いたい」と言えること、そう思えることが、夜明けを連れてくるのかもしれない。
M3『IEDE』
『IEDE』を聴くと、どういうわけかとても懐かしい気持ちになる。大切にしていたはずなのに、大人になって特別ではなくなってしまったものたちを思い出すからかもしれない。
夏のみずみずしい朝の空気。風の感触、草と土の匂い。暑さや、流れる汗や、夕立にあうことが煩わしくなかったころ。雨ざらしになっている自転車と、100円で買える缶のレモンソーダ。HBの鉛筆で書く習ったばかりの漢字。筆箱に大事にしまってある香りつきの消しゴム。
cadodeの楽曲には「懐かしさ」が共通のイメージとして存在しているが、その懐かしさは普遍的なものであると同時に極めて個人的なものでもある。『IEDE』は特にそれが際立っていて、誰もが感じていた懐かしさと、自分だけの懐かしさが両方存在している不思議な楽曲と言える。
M4『TOKYO2070』
そんなものなどないと知っていながら、自分が生きている意味を考え続けている。
動画投稿サイトで、100年前の東京の写真をデジタル着彩した動画を見た。100年前にも当たり前に生活があり、当たり前に人がいた。100年前、それよりももっと前、教科書に名前が出てくるいつかの時代にも人は生きていて、自分の先祖と呼ばれる人達もそこに存在していたのだろう。
顔も知らない彼らが繋いできた血脈の末端に自分がいること。同じ血の流れる人々が生きた意味が、現代に生きる自分なのかもしれないこと。
恐ろしく長く続いていく時間の中で、人は連綿と生きている。『TOKYO2070』を聴くと、考えても想像など及ばない生命の果てしなさについて、つい考えてしまう。鼓動の音が聞こえてくるような、血の熱さを感じるような、生命力に溢れている一曲だ。
M5『ライムライト』
『ライムライト』は『IEDE』と似ていて、普遍的なのに個人的な懐かしさを感じる夏の歌だ。再生マークをタップすると、巻き起こる風が軽やかに「あのころ」を連れてくる。
人は、同じ環境で生まれ育ち、同じ経験をしたとしても、同じ感情、同じ記憶を抱くことは決してない。それなのに、どうしてcadodeの描く「あのころの夏」は多くの人に懐かしさを感じさせるのだろうか。どうしてあのころにいい思い出などなかった人間にも、あたたかな懐かしさ、戻れないせつなさを感じさせるのだろうか。
ちなみにライムライトとは、電灯が発明されるより前、19世紀ごろに舞台照明として使用されていた照明器具のこと。人生という舞台を照らすのにふさわしいタイトルの楽曲である。
M6『異常と通常の間』
音楽を流さないでイヤホンをしたまま歩いている。無音にはならないが、街の喧騒がほんの少し遠ざかり、何もかもが他人事のようになる。
どれほど素敵なことがあっても、どれだけ楽しい時間を過ごしても、誰かに愛されたり何かを愛したりしても、生きていることへ「でも」と思ってしまうのは何故だろう。
「あのころの夏」以外にcadodeの音楽を構成する要素として存在するのが「生きていくこと・死んでしまうこと」だ。『異常と通常の間』では満たされないまま肉体を持て余し、それでも生きていくしかないことの矛盾と虚しさが強く表現されている。
M7『暁、星に』
『暁、星に』は大切な誰かを失ってしまうことを歌う曲だ。この曲も「生きていくこと・死んでしまうこと」の要素が大きなテーマとして存在している。
人として生まれたからには、傷つかずにはいられない。どれほど失いたくなくてもやがて全ての火は消えるし、どれほど失いたくなくてもぬくもりは消えていく。生きていると傷つくことばかりだ。理不尽ではあるが、どうやら世界はそういうふうにできているらしい。
ずっと前、今は疎遠になった友人が「これ以上傷つきたくないから、もう誰とも関わりたくない」と言っていたことを思い出した。その人がどこでどうしているか今はわからないが、もしまた会えたならこの曲を聴かせたい。
傷ついたら痛い。それは当たり前だ。でも、血はやがて止まる。傷跡は残るかもしれないけれど、傷口は乾いてふさがって、そのたび皮膚は厚く強くなっていくのだと、そう伝えたい。
M8『Unique』
『Unique』は2018年にリリースされ、cadodeの活動のスタート地点となった楽曲だ。
当時のcadodeの楽曲は「あなた」や「君」ではなく「自分」にフォーカスしているものが多く、自分の存在、心や思考に深く潜っていこうとするような印象を受ける。
よどみをかきわけた先、自分の中の最深部にあるものはどんなものなのだろうか。
答えがないことを知りながら、自分が誰であり、自分にどんな意味があるのかを考え続けることには意味も意義もない。それでも、人として生まれてしまったからにはそれを考えていくしかないのだと感じる。
低い温度で息をする『TUTORIAL BLUE』
M1『タイムマシンに乗るから』
もしタイムマシンに乗るなら、過去と未来のどちらに行くだろうか。どちらに行っても今の自分から逃れることなどできないとわかっていながら、そういう想像を何度も繰り返し思い描いた。
『タイムマシンに乗るから』は、koshi(vo.)がヂラフマガジンのインタビューで活動のターニングポイントとして挙げた楽曲でもある。
koshiはこの楽曲について、「cadodeとしての自我がはっきり出来上がった気がしました。突き放しすぎるわけでもなく、でも直接的に無粋なことを言うわけでもない。うまい塩梅だったなと思っています」と語ったが、彼の言う「うまい塩梅」は、楽曲の中にある「余白」、あるいは「余地」と言い換えることもできるのではないだろうか。
その余白は、「ここではないどこか」など存在しないことを知りながら、「ここではないどこかへ行きたい」と切に願う人たちに用意された、ある種の居場所のように感じる。
M2『ワンダー』
2曲目『ワンダー』も、『タイムマシンに乗るから』で述べた「余白」を強く感じる楽曲だ。cadodeの音楽を考える上で、この余白(居場所)というものは、「あのころの夏」「生きていくこと・死んでしまうこと」とはまた違った、彼らの世界を構成する重要な要素のひとつになっていると言える。
興味深いのは、この余白には「共感」の強制が一切ないことだ。cadodeの音楽は一貫して共感を求めない。それでいて、突き放すように冷たいわけではない。その絶妙な距離感が、人そのものという感じがする。楽曲に生身の人間のあたたかさがあるのだ。
だいたい36度くらいの、自分とは別の、同じ空気を吸って生きている人間。『ワンダー』には特にそのイメージを強く感じる。
M3『明後日に恋をする』
明日が来ることが当たり前だと思っていたし、とりあえず生きるのは簡単だった。周りに合わせていれば毎日自動的に時間が過ぎていく。考えること、感じることを忘れたまま、動く歩道に乗っているみたいに終点に向かっていくはずだった。でも、それは本当に「生きている」と言えるのだろうか。
『明後日に恋をする』を初めて聴いた時、なんて素敵なタイトルなのだろうと思った。恋をするのが明日ではなく、明後日であることにも強く心惹かれた。静かで、やわらかくて、あたたかで、安心する。
ずっと昔、ゆりかごの中で聞いたことがあるような気がするような、自分として生まれる前にどこかで聞いたことがあるような、そんな懐かしさを感じる。
M4『あの夏で待ってる』
耳を塞ぐと自分の鼓動の音が聞こえる。規則正しく脈打ち、血を巡らせ、いつか止まることが決まっている音だ。
生まれてきてしまったら死に向かうしかないことを、ずっと不幸なことだと感じていた。終わりは悲しいことで、別れは永遠であると思っていた。
『あの夏で待ってる』はそんな「いつか」を描いている楽曲だが、漂う空気が悲観的ではないのが印象に残る。この曲を聴いていると、終わることへの恐怖や寂しさ、悲しみが薄れていく。
あたたかな血が身体を巡るように、大きな循環の中で全ての存在と想いは巡って、ずっと消えることはないのかもしれない。そんなふうに思える。
M5『三行半』
『三行半』の一曲の中には、いくつもの想いが混在している。人間という生き物の持つ複雑さや矛盾や脆さが、願いも祈りも込めることのできない流星群のように光っては消えていく。
この楽曲のメインモチーフとなっている紫陽花。その花言葉は、「移り気」や「浮気」「無常」であるそうだ。
誰かや何かを愛することがひどく虚しく、悲しく、孤独であることを『三行半』は正確な重さで伝えてくる。だからこの曲を聴くと、いつもどこかが軋むように痛む。
M6『社会卒業式 feat.aneki』
cadodeの楽曲の中でもずば抜けて物語性が強いのが『社会卒業式 feat.aneki』だ。koshiによる短編のプロットと設定をベースとして制作されたEP『2070』にも収録されているこの楽曲は、「2070年の世界の部族化と社会分離」をテーマとしている。
楽曲に存在している世界観が揺らいでいないのはもちろんだが、現時点でこの世界で起きている話ではない(つまりフィクションである)のに、それでも「cadodeらしさ」が全く損なわれていないところも必聴ポイントになっている。
M7『たらちね』
『たらちね』は2018年リリース『暁、星に』以来の、koshiの母の死を題材とした楽曲である。この楽曲も「いい塩梅」で絶妙な距離感で作品として成り立っているのが特徴だ。
身近な人との死別というごく個人的なことを曲にしているというのに、不必要に重いわけではなく、軽いわけでもない。涙で湿ってもいないし、時間が経って乾いているわけでもない。ただ事実として、喪失とそれにともなう感情が描かれている。
生きることは別れと喪失の繰り返しで、自分が息をしているうちは見送る側であり続ける。
ずっと昔から「生きていると奪われることばかりだ」と感じていたが、世界がそういうふうにできているだけで、それは決して不幸なことではないと、私はこの曲を通して知った気がする。
M8『リメンバー feat.Melanie』
次に生まれ変わるならば何になりたいか、という問いに「風」と答えた人がいた。四大元素は反則だと言うと、その人は笑った。もうどこにもいない人の話だ。
消えることと消えないものについて考える。存在が消えてしまったとしても、誰かの記憶に残るならばそれは永遠であると思うが、どうだろう。消えることが寂しいから、ただそう思い込みたいだけかもしれない。
この楽曲を二つあるベストアルバムの片方の最後の曲にしていることに、私は大きな意味と救いを感じる。
「あなたにとって大切であるならば、何度でも思い出していい。あなたが忘れなければ永遠に消えないのだから」。『リメンバー feat.Melanie』を聴くと、そう言われているかのように思ってしまう。
大切な存在を失ったとしても「もういないから」と思わなくていい。思い出も、悲しみも、何もかもすべて、忘れようとしなくていいと思えるのだ。
(文・望月柚花)