【MUSIC DRUNKS #1】ヂラフマガジン編集長・三橋温子 / ライブ、フェス、音楽、自分のすべてを注ぎ込めるもの

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この度新しく始まったヂラフマガジンの連載「MUSIC DRUNKS」 は、音楽を愛する人に、好きな音楽や今までどのように音楽と関わってきたかについて語ってもらうコーナー。さまざまなゲストをお招きし、その人の音楽観を深掘りしていく予定です。

スタート地点となる第1回目は、ヂラフマガジン編集長でありフリーライター/デザイナーの三橋温子(みつはしあつこ)さん。地元札幌でのライブハウス通いが育んだ音楽愛とは?


好きな音楽と最近のお気に入り
——早速ですが、まずは好きな音楽をざっくりと教えてください!

ジャンルでいうとロックやパンク、スカと呼ばれるジャンルの音楽が好きです。生死と真正面から向き合うような詞の世界観を持っていて、一度のステージで命をかけて音を鳴らし歌う、そういったパワーのあるライブパフォーマンスをするバンドが好きですね。

——ずっと好きなバンドは後ほどじっくりと語っていただきますが、ここ最近でお気に入りのバンドはいますか?

多分、今のわたしは自分の原点ともいえる90年代のオルタナティヴロックを思わせる音を求めているところがあって、踊ってばかりの国、SIX LOUNGE、地元札幌のDOUBLE SIZE BEDROOMやthe hatchを最近よく聴きます。当時のサウンドを彷彿とさせながら、もちろん新鮮さもちゃんとある。だから気になって聴いてしまうのかも。ちょっとジャンルは違うけど、2017年結成のツインボーカルバンド、Mellow Youthにも注目しています。

あと今まではずっとバンド音楽ひとすじだったけど、最近はトラックメイカー系にも注目していて、キタニタツヤが特に好きです。声もメロディラインもリフも琴線に触れてくる。ぐっときます。


RECENT FAVORITES

ライブと生演奏に魅せられて
——三橋さんといえばライブやフェスがお好きというイメージがあるのですが、年間でどのくらい観にいってますか?

一番多いときで年50本くらいだったかな? ここ最近は減ってきてはいるのですが、それでもやっぱりライブやフェスが大好きなのでよく行きます。最近はキャンプフェスがお気に入りです。楽しいですよ!

——そのくらいライブやフェスに行きたくなる理由は?

生の音楽を聴くことがとにかく好きだからですね。音が肌を突き破って心を直接掴んでくるような感覚は、ライブでしか味わえません。

——確かに、生演奏の迫力は一度経験するとハマりますよね! そんな生演奏の迫力を経験した初のライブはどんなものだったのでしょう。

中学3年生のときに行ったLUNA SEAのSHINING BRIGHTLY TOURの札幌公演ですね。アリーナ会場のスタンド席だったんだけど、その場で飛び跳ねまくってめちゃくちゃ楽しかった。チケットをとってくれた同級生が真っ黒な服と真っ赤な口紅と逆立てたロングヘアでうちまで迎えにきて、びっくりした記憶があります(笑)

本格的にライブに夢中になったのは高校時代。SLANGのKOさんがオーナーのKLUB COUNTER ACTION、BESSIE HALL、SOUND CRUE、COLONYなど地元のライブハウスによく行っていました。今はメジャーデビューしているsleepy.abや、BAZRA、SLEEPER HOLD、サカナクションの山口一郎さんがいたダッチマンや草刈愛美さんがいたiter、もう解散してるけど暁やAddictionなど、札幌のインディーズシーンは当時からすごく熱くて、ライブハウスに行けば格好いいバンドと出会える!という感じでした。

——ライブを観ているとき、生音を聴けることのほかに感動するのはどんなことですか?

あの「一度きりしかない空気」というか、そういう気迫のあるライブパフォーマンスをその場で観て感じることができるのはすごいことだと思いますね。鳥肌がたつほど感動するし、感極まって泣いてしまうこともあります。みんなでもみくちゃになりながら同じアーティストをリスペクトする感じも好き。若いときはダイブもしたけど、パッと視界が開けてステージにぐっと近づける感覚は爽快でした。

いつでもそばで鳴っていた音たち
——音楽って能動的に聴きはじめる時期が人によって差があると思っていて、小学生でもう自分の好きな音楽がはっきりしている人もいれば、大人になるまで音楽というものに関心がない人もいると思うんです。

その個人差はまわりの環境とかにもよりますよね。兄弟とか友達とか、身近に音楽が好きな人がいてそこから入る人もいるし、テレビCMに使われている音楽に興味を持って能動的に聴きはじめる人もいる。

——確かにまわりの環境は大きいですね。ちなみに三橋さんはいつから音楽に興味を持ちましたか?

音楽に興味を持ったのは小学校高学年くらいで、わりと早いほうだったと思っています。わたしが子供の頃って歌番組がかなりあふれていた時代だったんですよ。そういったテレビ番組もあったし、小学1年生からクラシックピアノを習っていたので音楽は生活の中に自然にありました。あとは母がよくTHE YELLOW MONKEYや米米CLUBを聴いていたので、その影響もあったかな。

——お母さんも音楽がお好きなんですね。あと、音楽好きな人には必ずこれを訊いてしまうのですが「音楽に感動した最初の体験」っておぼえてますか?

もちろんです。小学校6年生のときにミュージックステーションでLUNA SEAの『END OF SORROW』を聴いて「格好いい…!」と衝撃を受けたのが最初の音楽の感動体験。1小節ちょっとしかないインパクトのあるイントロからはじまって、宇宙にいるような浮遊感と疾走感のある曲。子供心にとても印象深かったです。

——LUNA SEAで衝撃を受けてからはどのような感じで音楽にハマっていったのでしょう?

当時はバンドブームがあったりして、わたしもバンド音楽に夢中になっていきました。その頃に聴いていたのはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT、BLANKEY JET CITY、Hi-STANDARD、BRAHMAN、hide、GLAY、スピッツ、TRICERATOPS、THE OFFSPRING、Mr.BIG…と、挙げたらキリがないです! 実家がスカパー!に入ってからは、家でスペースシャワーTVやMTVをひたすら流していました。

——「バンド音楽に夢中になっていく」ということは、そのあたりが現在の基となるものができてきた時期でしょうか。

あらためて振り返ると確かにそうかも。さっきも話したように高校時代にライブハウスに通い始めて、インディーズやアマチュアのバンドともたくさん出会うようになって、完成しきっていない粗削りの音やその場限りの音の魅力にも気づきました。全身全霊で思いを奏でる格好よさというか。

——ライブを観ることに情熱を注ぐ…やっぱりそこが原点ですね。

ライブを最後まで観たくて終電を逃しまくって、母とよく喧嘩してた時期でもありますが(笑)、今なら母には心配をかけて申し訳なかったなって思えます。でも、すごく楽しかったんですよ。あの時期ライブハウスに通っていたことが、わたしが今もライブで音楽を楽しむことが好きな気持ちの根本になっていると思います。

——プロフィールにも書かれている好きなバンド、THE BACK HORNとの出会いもその時期ですか?

そうそう。高校3年生のとき、コンビニの有線でたまたま流れていたTHE BACK HORNのメジャーデビュー曲『サニー』を聴いたんだけど、なんていうかもう、心を鷲掴みにされたような感覚でした。それからずっとTHE BACK HORNは最愛バンドです。ライブにも、メジャーファーストアルバムの人間プログラムツアーからずっと行っています。

全国のフェスを巡った20代
——高校卒業後は大学進学とともに上京されたそうですが、大学時代の音楽に関する思い出や楽しかったエピソードをぜひ知りたいです。

大学時代の思い出は、FUJI ROCKのオフィシャルショップ岩盤のスタッフとして友達と参加して、物販のシフトが入っているとき以外はライブ三昧してたこと!

前夜祭の夜には友達が知り合いだったACIDMANやHUSKING BEEのメンバーと飲んだり、LOW IQ 01やドラマーの中村達也さんと写真を撮っていただいたりもして、本当に夢のような時間だったし、最高の思い出です。

——最高だし羨ましすぎてちょっと涙が出そうです(笑)。大学卒業後、社会人になってから現在まではどんなライブやフェスに行きましたか?

20代の頃はRISING SUNやARABAKI、ROCK IN JAPAN、SUMMER SONIC、SWEET LOVE SHOWER、トーキョースカジャンボリーなどなど、全国各地のフェスに行きまくってた。宮城で開催されたAIR JAM 2012に、友人達とハイエースに乗って0泊の弾丸ツアーとかもしたりしてました。無茶ですよね。当時はいわゆるAIR JAM世代とか、DIWPHALANXやPIZZA OF DEATH(パンク系のインディーズレーベル)のバンドを一番よく観ていました。

30代の今は数こそ減りましたがそれでもライブもフェスも大好きで、昨年はライブでいうとAge FactoryやLOW IQ 01、SCAFULL KING、フェスでいうとFUJI ROCKやFUJI & SUN、RISING SUN、アルカラのカウントダウンイベントなどに取材も含めて数十本行きました。

——ジャンルにとらわれず色々聴いている感じがしますが、好きになる音楽の傾向はありますか?

うーん、基本はマイナーコード(笑)。あと、英語詞のバンドもたくさん挙げておいてナンですが、やっぱり日本語詞が一番好きです。小説だと純文学が好きで、細かい言いまわしや句読点の位置まで読み込んで作者の感性を感じたいタイプなので。

ボーカルの声質もぐっとくるポイントかもしれないですね。チバユウスケさんをはじめ、もう活動していなくて残念だけどノスタルジック-ロジックの大野基洋さん、LILY HEADS REUNIONのLUCYさんは、ハスキーで少ししゃがれた声がすごく魅力的だと思います。

人生の一部として
——お話を伺っていてより強く感じましたが、三橋さんの音楽に対する気持ちは愛ですね。それも純愛というか、とても一途な愛というか…。

正真正銘、愛ですね。もともと音楽に依存してきたタイプなので重めの愛ではありますが(笑)。現在は活動再開していますが、高校時代にLUNA SEAが終幕したときは一時期音楽が聴けないほど落ち込んだりもしたし、THE BACK HORNの曲にはつらいとき救われることが多々あるし…。

——そのヘビーさは年齢を重ねるごとに変わったりはしていますか?

依存から共存に少しずつ変わっていっていると自分では思う。好きな音楽は自分の核としてちゃんとあって、いい意味で浅く広く色々な音楽を聴くようになったり、「音楽がないと生きていけない!」という切羽詰まった感じから「音楽はわたしの人生の一部」くらいのナチュラルな感覚になりましたね。

自分自身の音楽との距離感がそういう感じになれたからこそ、ヂラフマガジンを始める気持ちになったのかもしれない。

——「依存から共存へ」変わった今、ヂラフマガジンの編集長としてどんなことをしたいですか?

以前だったら好きなものだけ熱く語りたいと思っていたけれど、今は音楽が好きなライターの方々や取材に協力してくださる方々の力をお借りしながら、いろんな人にとっての「いい音楽」や「いいコンテンツ」を沢山掘り出して紹介したいという純粋な気持ちがあります。

わたしは特別音楽に詳しいわけじゃないですけど、「好き」という気持ちは強いと思う。同じように音楽と生きている人たちに少しでも楽しんでもらえて、音楽とそんなに関わってこなかった人たちには気軽に親しんでもらえるようなメディアを作っていけたらと思っています。

(取材/文・望月柚花)
(撮影・髙田みづほ)


5 PRECIOUS SONGS

押しつけがましくない優しさで心の奥底まで救ってくれる、Gt.菅波栄純の詞が秀逸。つらいのに誰にも言えないとき、この曲に何度も救われた。心が洗われるようなストリングスも心地いい。(2005年)

Vo.RYUICHIが親友をなくしたときに詞を書いた約8分の大作。美しいアルペジオからはじまり、命を振り絞るような叫びとドラムで終わる曲の展開も圧倒的。心が張り裂けそうになる。(1994年)

曲のラストでは、街と人びとが命を吹き返していく光景がありありと目に浮かぶ。ライブ中に流れるMVは箭内道彦さん、BRAHMAN、3.11後の福島第1原発に作業員として入ったフォトジャーナリスト小原一真さんによるもの。(2012年)

中島美嘉に提供された曲のセルフカバー。死を追い求めながら誰よりも真剣に生と向き合う、「僕」の繊細な心情が描かれている。ラストに差し込むひとすじの光が、生きる希望を感じさせてくれる。(2016年)

ベン・E・キングの名曲をジョン・レノンがカバーしたもの。1998年、野島伸司脚本のドラマ『世紀末の詩』の挿入歌に起用された。このドラマが好きすぎて、イントロを聴くだけで涙腺が…。(1975年)


PROFILE

ヂラフマガジン編集長
三橋 温子(Atsuko Mitsuhashi)

ヂラフマガジン編集長、ライター兼デザイナー。武蔵野美術大学卒。エン・ジャパン(株)制作部で企業経営者や人事の取材・広告制作を経験後、2013年独立。Web・書籍・雑誌などでインタビューものを中心にジャンル問わず執筆中。学生時代の著書に『超短編 傑作選』vol.3・4(創英社/共著)がある。ロック・パンク・スカを愛し、ライブ歴は中高時代から。

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