「ハチ」から「米津玄師」への変遷を辿る

望月 柚花

望月 柚花

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米津玄師(よねづけんし)は1991年生まれ、徳島出身のアーティスト。代表曲の『Lemon』は2018年に同年放送のテレビドラマ『アンナチュラル』の主題歌として提供され、多くの人の耳に届き米津玄師の名を一気に広めた。

『Lemon』 公式YouTube

米津の作る楽曲は「見たことがないはずなのに、その風景を知っている」というような、不思議とノスタルジックな気持ちをかき立てられる作品が多い。

そんな彼がどのように活動し、音楽のベースを作ってきたか。「現在の米津玄師」のベースになっている楽曲と、当時の活動を紹介する。


ボカロP「ハチ」としての活動

米津は2009年から2011年までの間は「ハチ」名義でボカロPとして活動し、ボーカロイドを使用した楽曲を制作・発表していた。

当時はボーカロイド全盛期。いくらでも似ている曲はあるはずなのに、ハチ(米津)の楽曲にはそういった「○○っぽさ」が皆無だった。優しい音づかいに直接的ではないのに切実な歌詞。そして西洋のおとぎ話と日本らしさを掛け合わせたような世界観は、現在の米津玄師の面影を感じる。

ハチ時代の代表曲をあげるならば、『clock lock works』『マトリョシカ』『ワンダーランドと羊の歌』『ドーナツホール』の4曲をおしたい。

『clock lock works』 公式YouTube

『マトリョシカ』 公式YouTube

『ワンダーランドと羊の歌』 公式YouTube

『ドーナツホール』 公式YouTube

鮮烈に記憶に残るのは『マトリョシカ』がアップロードされた時だ。イラスト投稿サイトではこの曲のファンアートが大量に投稿され、動画サイトでは『マトリョシカ』の「弾いてみた」や「歌ってみた」が大量にアップされていたのを覚えている。

多くの人が、ハチの音楽に魅了されていた。

2009年~2011年はボーカロイド界隈に最も活気があった時代で、当時の作り手・聴き手で先を見据えていた人達は、まだ数年先まではボーカロイドが廃れることもなく、界隈には勢いがあるだろうと予想していた。

「ハチ」としてそこにいれば、もてはやされ、ファンも沢山いて、ちゃんと聴いてもらえる。そういった環境が数年先までは保証されていたにもかかわらず、米津はそこに甘んじることはなかった。

内側の世界と『diorama』の街

2012年から米津玄師名義での活動をスタート。ファーストアルバム『diorama』を発表。

このアルバムはジャケットなどのアートワークはもちろんのこと、収録曲のMV『ゴーゴー幽霊船』『vivi』の映像制作も米津自ら手がけている。

『ゴーゴー幽霊船』 公式YouTube

『vivi』 公式YouTube

「内観」という言葉がある。自分の心の状態・動きを観察するという意味の心理学用語だ。自分が何を思い、何を感じ、何を大切にしているか。どんなことで心が動き、どんなことで喜びを感じてどんなことで悲しみを感じるのか。そういうものを探る。

『diorama』で米津がしていたのは、まさにそんなことではないかと思う。

彼が米津玄師として活動を始めた2012年は、今のようにボカロPが名義を変え表に出て自分で歌うことが当たり前ではなかった時代だ。自ら前に出ることは、様々な面で困難を伴うものだったと思う。

しかしこのアルバムがリリースされた当時のインタビューで米津は「初音ミクを隠れ蓑にしたくない」と語っており、その言葉からはアーティストとして活動していく上での覚悟と、「自分が何者であるか」ということに向き合おうとする姿勢がうかがえる。

外の世界へ踏み出す、セカンドアルバム『YANKEE』

米津玄師は2013年、のちにセカンドアルバム『YANKEE』に収録される楽曲『サンタマリア』でメジャーデビューを果たす。

2014年、アルバム『YANKEE』をリリース。このアルバムでは前作『diorama』の世界から一歩外に出た印象を受ける。

今までの米津の楽曲は「僕」から見た「君」といった一方通行的な表現でしか「他者」の存在を感じ取ることができなかったが、このアルバムからそれが少し変わってきているのだ。

個としてそこに存在し、「僕」とは違う人間である「君」や「あなた」がリアリティを持ってそこにいる。特に『サンタマリア』や『アイネクライネ』はそういった「他者」の存在を色濃く感じる楽曲である。

米津独自の世界観を保ちつつ、誰もが感じたことのある普遍的な感情を絶妙なバランス感覚で表現している。聴いた瞬間「ああ、これはラブソングだ」と感じ、思わず涙をこぼしてしまった。

『サンタマリア』 公式YouTube

『アイネクライネ』 公式YouTube


今の米津は知っているけれど、ボカロP時代の米津のことを知らない人は多いと思う。知ってはいるがボーカロイドに抵抗がある人は「ハチ」だった米津玄師を受け入れることが難しい、という意見も何度も目にした。

それに関しての感情や感想は個人の自由だが、自由だからこそ「好き」や「嫌い」を他の人に押し付けるのは健全ではない気がしている。

一部の歴史として「ハチ」がいて、一部の歴史として「米津玄師」がいる。いつの時代だって彼が音楽や創作を愛していることに間違いはないから、我々リスナーができることはたったひとつ。

「米津玄師は、次はどんな景色を見せてくれるのだろう」
そうやって期待することだと思う。

(文・望月柚花)