ASIAN KUNG-FU GENERATIONのギターボーカル、後藤正文(ごとうまさふみ)。愛称「ゴッチ」としてファンに親しまれ、ソロ名義「Gotch」としても楽曲を発表している。
また、ミュージシャンの活動にとどまらず、エッセイや小説の執筆といった文筆業や、新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長、後進の育成など、その活動は多岐にわたっている。
後藤の音楽、ひいては社会に対してのスタンス、彼自身のミュージシャンとしての取り組みの変化は、2011年の東日本大震災前・後で明確な変化があったと思っていて、彼自身も公式サイトのブログで東日本大震災が「大きな転機だった」と語っている。
不確かな「砂の上」で
2011年3月11日、東日本大震災が起こった。
関東地方もかなり揺れた。様々な情報が飛び交うなかで計画停電があり、寒くて真っ暗な部屋の中で、大変なことが起こっているのだと感じた。テレビから流れる凄惨な被災地の映像を見ると、不安と焦燥は増していくばかりだった。
津波、原発、放射能、余震、倒壊した建物。
人間一人のできることはたかが知れているという無力感。
被災地の人はもっと大変なのに、そう思うと全てがぐっと重くのしかかり、次第にテレビを見たり、震災のことを報じるニュースを聞くことができなくなっていった。
そんな中、後藤が震災の復興を願い楽曲を発表したというニュースがあった。
タイトルは『砂の上』。自宅で、アコースティックギターとカシオの電池式のキーボード、手を叩く音やギターを叩く音を全て自分で演奏し録音を行った楽曲だ。
計画停電が行われた夜、毛布に包まり、真っ暗な部屋の中で発光するガラケーから流れる歌を聴いた。あの時の気持ちを今でもはっきりと憶えている。
発表の仕方や曲自体の感想については各々の感じることなのでここには書かないが、あの恐ろしく暗く寒く大変な時期に「それでも」と思って歌い、音を鳴らし、誰かに届けようとした。それは彼にしかできないことだった。
のちに後藤は、自著『何度でもオールライトと歌え』で、震災の直後で曲を発表するという躊躇いや葛藤があったことについてを綴っているが、でも、おそらく多くの人が、あの時あの歌に大きな心強さを感じたはずだと思う。
『THE FUTURE TIMES』に込める想い
震災後、後藤が編集長をつとめる新聞、『THE FUTURE TIMES』が発行された。「未来について話そう」というテーマを掲げているこの新聞は、みんなで未来をよくしていきたい、考えることをやめてはいけない、そういった後藤のメッセージを今日までずっと発信し続けている。
この新聞は創刊から無料で配布される新聞(フリーペーパー)という形式をとっているが、その理由は「お金が発生すると余計なしがらみができるから」ということだけではない。
『THE FUTURE TIMES』が創刊されて6年目の編集長インタビューで、新聞の無料配布についての質問をされ、後藤は「お金以外でも寄付はできる。社会に対して行動を寄付することができるのではないか」と述べている。
それを読んだ時、「この人は本当に、考えることをずっとやめていないのだ」と強く思った。震災後の無力感、焦燥感。そういったものを一人の人間として当たり前に感じながら、「それでもなにかがしたい」と考え、行動している姿はとても力強かった。
「これから」は「これまで」の地続きであるということ
2枚目のソロアルバム『Good New Times』がリリースされたのは2016年。表題作のMVを初めて再生した時に、なんとなく後藤が伝えたいことの端を掴んだような気がした。しかし、その時感じたことはなかなか言葉にできず、誰かと感想を話し合ったりはしなかった。
『Good New Times』は軽快で明るい曲だ。
MVでは後藤自身が歌いながら街を歩き、すれ違う人から様々な色と種類の花を受け取る。そして何種類もの美しい花でできた花束を抱え、今度はすれ違う人に花を手渡して歩く。街が夜につつまれて、後藤の抱えていた花は別の人の花になり、そこからまた別のストーリーが始まったり始まらなかったりする。
受け取った花をみて、嬉しそうに夜の街を歩く人。
手渡された花を大切な人にプレゼントする人。
無造作にカバンに突っ込んで自転車に乗る人。
彼が受け取り、そして手渡してゆく花は、きっと愛とか祈りなのだと感じた。それは震災の時の『砂の上』で歌われた、あの時の愛や祈りと同じものだった。震災前・後というより、もっと過去のことから今現在まで、後藤の歌う歌の「芯」の部分はずっと変わっていない。
揺るぎない自分を持ち、考え続けることを止めない人。
未来を見つめ、そして今を諦めずに歌い続ける人。
彼の言動や振る舞いに対する批判は当然ある。というかそういった意見のほうが目についてしまう。
それでも、後藤正文という人間が歌っている声が聴こえると、愛とか祈りとかがこの世界に存在することを認めざるを得ないような、今よりも明るい未来がこの先にあるような、そんな気持ちになってしまう。
(文・望月柚花)